鍼灸オタクは早死にする 915

〇心と昼

▽五季における昼の働き

昼というものを大別しますと、夏の昼、長夏(土用)の昼、秋の昼、冬の昼、春の昼というように五種類あります。各々一日の中で昼という条件は一緒ですが、バックにある春夏秋冬のどの季の一日であるかのよって、同じ昼でも違ってきます。

一年では春・夏・長夏・秋・冬と五つの気が働いています。この気をバックボーンにして一日があり、この一日にも朝・昼・午後・夕方・夜の五気があって、年の五気作用と日の五気作用が一体となって働いています。

年には五季の大気があり、その五大気の中に日の五気があって、大小の歯車がかみ合ったようになっています。つまり、その働きの大小が同時に関わり合っています。この働きによって地上の草木や動物、人間が形成されます。

したがって、そのような働きが人間の体にどのようには働きかけているかを理解しなければいけません。そのためには、浅い表面的な知識だけでは人体への影響の奥深いところを診察することはできません。

▼夏の昼の働き

夏は心が最も活動するときであり、最も働かなければならない季です。また、その季の中で昼は更に旺盛に働かなければならないときであり、心にとっては夏の昼とは旺中の旺となります。

したがって、心臓は何人かいる当番の中で一番働き最高の当番に当たっているときなので、100%の働きを要求されています。もしこのときに、心臓に力がなければ苦しくなり、心疾患になります。

心疾患は、心と他臓との相関において異なります。肝や脾に力があれば苦しみは少なくなりますが、人や肺の力が勝っていて、肝・脾に力がないと大変苦しみます。

心臓の力が弱くて50ぐらいの力しかないと、100の仕事をさせられる時なので、心臓は異常亢進します。その結果、動悸、めまい、起立困難、消化不良など、その人の欠点に波及して発病したり、または、再発したりします。

▼長夏の昼の働き

長夏は脾が中心になって働く季です。脾が働きながら、一日の気は心旺になります。五臓は、旺相死囚休と力の分配をしながら、働きをぐるぐる当番のように交替しながら行っています。

長夏は心にとっては休の場に当たり、心自体は楽に働けるときです。長夏の昼とは、脾旺中の心旺となります。

脾臓は心臓から見て子供に当たります。それは脾は消化を司るからです。消化というのは心臓循環の働きによって消化がなされるので、血液の働きは消化の母胎となっています。心臓は母親であり、脾臓は子供です。したがって、脾臓がしっかりしていて消化力が健全であれば、余分に血液を必要とせず、母親たる心臓の負担が軽くなります。脾が旺のときは心にとっての休息のときなので、脾子が健全ならば心母は休の場で、自分の仕事が楽にできます。

もし心臓に疾病があるとすれば、この時期は休のときなので、心は楽になり治りやすくなります。ところが、脾子に力がなければ、母である心臓に負担がかかってくるので心疾も治らず、脾力にも力を貸せずに共倒れになります。もし脾子にに力があれば、心母は脾子によって救われます。

以上のことから、土用である八月や九月初めに心臓の具合が悪い人は、脾臓の力の有無によって治・不治の遅速が決まります。もし、脾力のないときは消化のよいものをとり、栄養分の多い不消化な食事を避けて、脾の消化力の消耗を抑えて。体も十分休ませて心臓の回復を計ります。脾子の力が復活すると、心母の助力がいらなくなり、心母も楽になります。

▼秋の昼の働き

秋は金気で収斂しようとする働きの季です。

心にとっては旺相死囚休の囚の季です。囚とは妻財関係の座にあるときをいいます。

心臓は暑いときに冷却を主とする働きを持っているので旺んに働きます。したがって、心が旺するといいます。

心旺というのは、この場合は心臓が丈夫という意味ではなく、心臓が旺んに働かなければならない条件にあるということであります。

一日のうちで昼は心臓の旺のときであります。秋の昼とは、一日で心の旺のときですが、季では秋なので、秋は収斂、つまり加冷で下降温度です。心臓は熱を司ってからだを温めなければいけませんが、夏のようにその力を十二分に発揮できません。それが、囚(とらわれ)です。

心臓が十二分に力を発揮できるのは暑いときであります。血管が十分に広がって十二分に活動できる条件のときです。

秋は収斂でしめつけられているときで、その中で旺んに働かなければならないのですが、条件としては、長夏より悪く、冬よりは働きやすくなります。

このような囚のときは、心疾は無理をすると悪い方向にいきやすくなります。症状としては現れないので、内傷されています。症状が外に現れることと内傷されるということは異なります。

自分の力が十分に発揮できない囚や死のときは、内傷されやすくなります。例えば、人に殴られても、自分に不利な条件に置かれている場合は、相手を殴り返そうとはしません。しかし、心の中が傷がつきます。これが内傷であり、後になってその内傷が原因で症状となるというようなものです。殴られても、自分に力がないときは黙っています。そしていつ症状が出るかといいますと、自分の力を発揮できる春から夏にかけてです。

内傷されるということは、心臓自身にに耐えられる力がないからです。力があれば内傷されませんし、発症もしません。

一般の人は、発症したときに疾病だと思っていますが、それは疾病の形を表に現しただけです。その前に傷ついた問題があります。傷つきやすい時季というのが、囚の季と死の季です。この季は内傷されやすく、普通の症状としては現れませんが、もし症状として現れた場合は重症です。

▼冬の昼の働き

冬の季の心というのは官鬼拮抗であります。自分が自由にならない、心力が発揮しにくく、停滞の方向へ向かっているときです。なぜそうなのかといいますと、寒いからです。体の内側を温めるのに精一杯なのであります。

冬の昼とはこのように死の条件の中で、心を旺にしなければならない、一番条件の悪いときです。

心疾の人は冬は無理をしてはいけません。囚のときと同じで、症状は出ないけど傷つけられやすい季です。

夏の暑いときに、自分の力を自由に発揮できる人というのは、冬になると反対で力を発揮できません。分かりやすくいえば、南方の人が寒い所で全く自由にならないと同じであります。これは、自分の力を縮めてしまうからです。寒に対して防御力がないからこのような状態になります。

官鬼拮抗というのは、いじめつけられやすい条件という意味です。官鬼の〝官〟とは官庁のことです。社会での日常では、例えば、役所や警察、税務署など全ての官庁の命令には服さざるを得ません。自由にならないのであります。

鬼とは、良い、悪いとかに関係なく、われわれを傷つけようとする力のことです。

とにもかくにも官も鬼も、剋制する働きで、それが環境条件となっています。心臓は暑いとき働けるのに、寒い条件のときは死であるというのが、官鬼拮抗ということです。

このようによく働けない状態で心臓を酷使しますと、旺相死囚休の死ではなく本当の死になります。

▼春の昼の働き

春の心旺期がどうなるかといいますと、春は熱上昇期であり、心臓は暑いほうが力を発揮できるので、冬に比べると働きやすくなってきます。したがって、働きやすいという条件と働かなければならないという条件が一緒に来ます。

春は肝旺期であり、肝臓は心臓にとっては親に当たります。肝母に力があれば、心子は割と楽であります。もし肝母に力がないと、春になると心臓が苦しくなります。もし、春に心臓の調子がおかしくなるとすれば、心臓が弱いという前に肝臓の具合が悪いのであります。旺相死囚休のめぐりでは、春は相に当たるところであり、心臓は働きやすいときです。したがって、肝母に力がなければ、心疾は容態が悪くなります。