トイレの位置

▽トイレの位置

昔はトイレを、圊寮(かわや)、厠(かわや)、窖坑(せんいん)といわれていました。あるいは、東にあるトイレを医不療(いふりょう)といい、西にあるトイレを厠、北にある便所を雪隠(せっちん)ともいっていました。

現在は、トイレ、便所、ご不浄、お手洗い、手水場、化粧室といわれ、誰にでも一言で分かるような呼称が付けられています。呼び名ですぐ状態や物が分かるということが名前の第一の条件であるとすれば、その意味からはご不浄などという呼び方がよいかもしれません。あまりにも露骨すぎるので嫌がる人もいますが、もともと便所の考え方の基本はご不浄で、家相の場合もこの意味を引き延ばして考えます。

トイレを陽の地、陰の地どちらにもっていけばいいのかとなりますと、いずれにしてもトイレは陰の極ということは誰にも分かると思います。陰をもって悪とするので、もし善と悪に考えていきますと悪の延長のようなものと考えます。ただし、悪といっても悪いという意味ではなく、極陰という意味であります。それ故にこの問題の扱いが大変難しくなってきます。

家の構造、間取りの中で一番難しいところはトイレとなるはずですが、案外粗末にされています。ほぼ家にいる主婦や幼児はもちろんのこと、毎朝、学校や会社へ出かける人も、1日3~4回くらい行かなくてはいけないところであります。とにかく自分の身の回りにはなくてはならないところであります。頻繁に使われるということが設計上の一つのポイントとなります。

トイレは陰なので、陰に陰を重ねてはいけないとか、北側の方にトイレの入り口を設けてはいけないという説があります。これは陰と陰が重なる重陰となり、あまりよいことではないという考え方からきています。

では、どこへもっていった方がいいかということでありますが、これは大変難しいことで、家相をみるうえではトイレは重要なポイントさえなっています。

  • 乾(北西)のトイレ

乾の方にトイレがありますと、家業が衰え、散財が多く貧賤となり、不忠不孝になります。そして、住んでいる人の勢いや威力がなくなり、人の災難を受けます。また、精神異常者が出たり、脳病や神経病にかかったりしやすくなります。

それから、本家と不和になり、その本家も貧窮して滅亡します。この家から他家へ養子に行っても、養家を乱すか、あるいは浪人となるので、いずれにしてもよいことはありません。

寺院では短命あるいは掟を破る僧が出ることがあります。寺院というのは、人を導く公の場所であります。そして、乾位は公の意味を持っているので、公の場所のトイレとしては向いていません。その上、人を導くという使命を汚しがちであります。

乾は、神の座、主人の座を指すので、主人が家によりつかないか、さもなければ病弱になります。全ての点で主人が弱いために、妻の権力が強くなり、お手伝いさんもでたらめになります。

ここまでは四隅線を中心にした乾の意味であります。

次に四隅線を左右に分けて、西寄りと北寄りの場合を説明します。

西寄りのトイレは、湿疹、神経病、中風、脳病、呼吸器病になりやすく、北寄りは、子孫に災害が多く、また、子供に恵まれません。

  • 西のトイレ

西の正当にトイレがあれば、妻が多情で不義をなし、少女が醜く遠縁となります。また、娘みだらな行為のために、家名を汚し、散財し、病気では肺炎や神経痛、胃腸病、その他婦人科系の病気にかかりやすくなります。

西の大気の方位はさしさわりのない吉方であります。

  • 南のトイレ

南の正当にトイレがあるのは、公難、訴訟を起こし、目上の人のとがめを受けることが多く、論争が絶えず、官祿を失い、不忠や不孝な人を出します。また、自分が目上の人に尽くそうとする気持ちを失い、周囲が自分に尽くしてくれないという、誤った考え方になります。お手伝いさんは主人の目をごまかし、盗みをするなど、災難が多く、貧窮します。そして、南の意味の眼病、視力障害、頭痛瘡や腫物ができ、心臓病、脚気などの難病を招くばかりではなく、火難にあうこともあります。

  • 東のトイレ

東は長男の位置なので、そこにトイレがあると、長男の品行が悪く、大酒飲み、人道に反し非人間的になる場合があります。また、短命であり、不具者となる傾向があります。これは、二男、三男まで悪影響を及ぼし、品行が乱れます。系統的に男性は悪い方向へ向かいます。したがって、家系は養子を迎えるか、庶子が家系を相続します。また、夫婦不和や女難にあい、病気では、神経痛、発狂の恐れがあり、人気稼業の人にとってはとくに大凶で、発展を妨げます。また、家族が早起きをして家事に専念することができません。

東は、朝の方位で、早起きは三文の得と古人はいっていますが、それだけではなく、精神的にも肉体的にも健康を保つことができるのであります。

  • 巽(東南)のトイレ

東南のトイレは、親族のために散在することが多く、腐れ縁のような関わり合いが生じます。

商家の場合は、商取引で大損害を招き、商社マンは他国での重い任務に失敗して名誉に傷をつけるなどします。

会社員は失敗して貧困になり、婦人は不貞にとなり、みだらな行為が続き、また、色欲、姦淫などで世間を騒がせることもあります。あまりよいことがありません。

  • 北のトイレ

北にトイレがあると、父母の意見は合わず、祖先からの財産を失い、徐々に家運が衰微します。とくに、母親が偏屈となり不義をして、男子は品行が悪くなり、お手伝いさんにも恵まれず盗みを犯し、兄弟仲が不和になり親族を失います。

また、主人は業務を怠り、世間の信用を落とし、遠方の損害、水難、破産などが起こり、健康面では、耳病、湿病、腎臓病、血液不順、神経痛、腫物などにかかりやすくなります。男子は盲目になる恐れがあります。

北の欠けた場所に便所があると、永住することができず、どんな人が住んでも栄えることは不可能であります。

  • 艮(東北)のトイレ

東北の便所は、主人及び長男が短命で家系が絶えます。また、逆上、痔瘻、脱肛、中風、濃汁を出す病気にかかり、毒の深い腫物ができて、身体障碍者をも出す大凶相であります。そして、とくに手足が不自由になり、夭死者を出すことも多いです。

北寄りは、変死、剣難、水難に出会い、東寄りは、長男が不品行となり、愚か者か短命のおそれがあります。

  • 坤(西南)のトイレ

西南のトイレは夫人にたたり、神経過敏、脳や腹の痛くなる病、胃腸虚弱、喘息、悪疫の病気にかかります。とくに、婦人科系の病にかかりやすく、便の坑(あな)が二つあれば妻二人、三つあれば妻が三人死亡するといわれています。散財が多く、貧困に陥り、先祖の財産を使い果たし、家系を失います。

南寄りは、万事に失敗し、不如意にして散財が多いです。

西寄りは、妻女が衰弱して死亡する、常に病で苦労する、虚栄心が強く夫を剋する相であります。

  • 中央のトイレ

家の中央に近いトイレは大凶で、家人が家に居つかず、頼りにする人がいません。また、病人も多く、とくに消化器が弱く、家人みんなの内臓がおかされ、悪くすると家人が死亡し、家業が衰えてしまう恐れがあります。

  • 吉方位のトイレ

吉方位のトイレとして、最も適しているのは巽(東南)の泰気方位、東の泰気方位、乾(西北)の泰気方位、西の泰気方位の4方位であります。次に吉相として挙げられるのは、北の泰気方位、艮(東北)の泰気方位、南の泰気方位の順であります。

同じ泰気方位でも、坤(西南)は不可で、なるべくなら南の泰気方位も避けるべきであります。

吉相と凶相を列記しますと、

〔吉相の方位〕
巽の泰気方位
東の泰気方位
乾の泰気方位
西の泰気方位
艮の泰気方位
南の泰気方位

艮の土用方位
坤の土用方位
南の旺気方位
西の旺気方位
乾の土用方位
東の旺気方位
北の旺気方位
巽の土用方位
坤の泰気方位
〔凶相の方位〕

などが吉凶順であります。

まとめとして、次に例を挙げて説明します。

まず、太極的にみていえることは、東西の正中線両側に位する泰気方位が最もトイレに適している方位であるということです。

東の泰気方位の場合、この方位で旺気している季と時は、一年では春、一日では朝に当たるところであります。そしてここの春気は、竜が天空に飛躍するように、地気が勢いよく上昇しています。その地気上昇とともに、地上を這うトイレのガス不浄体が天空に清浄されるのであります。

一日の朝の場合でも同じことがいえます。夜は天気と地気の上下交流があまり見られませんが、朝になると夜とまるで異なった大気が生じています。それは天地交流によって大気の活動が代謝清浄されるほか、さらに、植物、水中の気などの運動によって酸素の発生が促されるからであります。

また、西側の泰気方位でも同じことがいえます。東では天地交流と共に酸素が発生して、ガス不浄体が天空に上昇したように、この方位は一年では秋、一日では夕方に当たり、この季は大気下降が少なく、それに応じて交流する地気運動も勢いを落とし内在しているので、両者の交流があまり見られません。

しかし、この季は陰気盛んとなって大気に冷気が発生しているので、水蒸気が抑えられて、天が高く煙突状態になっています。

それによってガス不浄体が上空の煙突に抜けるので、この方位にあるトイレは、臭気やガスなどの不浄空気によって、家の中がおかされること無く、その上、外気温も比較的高低の差が少なく、太陽光熱も適当なので汚物の発酵率が低いのであります。

その他に色々考えられますが、以上の理由から不浄物設置場所として東西泰気方位は吉方位であると理解ができるかと思います。

もっとも、トイレをはじめとした不浄場の吉方位というのは、人間にとって吉作用するというのではなく、物がものだけに凶作用をできるだけ避けるべきであるというのが、この場合の最大の吉の意味であります。