飲食と人体

飲食と人体

人間は生きるために何が必要か、また何の恩恵によって生きられるか根本的に考えますと、大気と飲食であります。これを古人は、天食、地食といって、この二元食によって人体が形成されていると考えました。

天食の大気と地食を、鼻と口に二根から摂って、人間は生成されています。この二大食は、一日として欠かせない重要な命元であります。この根幹を成す飲食の適・不適によって、健康・不健康がつくられているといっても過言ではないでしょう。

正しい生活の基本的な考え方として、質と量と時間があります。この三つを順に説明します。

まず食物には質があり、その質を大きく分けますと、益性と毒性の二元に分けられます。毒性とされているものだけが、人体を毒害するのではなく、益性でも、摂る量、摂る時間帯等によって害にもなります。

まず、飲食の質的内容を細かく分類すると、数限りなくありますが、概略すると、

①偏食、②主食と副食、③旬の食べ物、④体質に応じた飲食

となります。

次は、地食について述べます。

地食、つまり食事は、人間にどのような働き、または影響を与えているかといえば、まず、人体を形成するとともに生成動働のエネルギーをつくっています。

人にも体質というような種類があるように、飲食にも種類があります。この食べ物の種類、つまり食質と体質は、非常に深いつながりを持っています。ここにも相生相克という問題が生じ、食べられるものであれば、何を食べてもよいというわけではありません。

食品の中にも陰陽があります。人間の「生食」は植物性のものです。陽性である動物と陰性の植物は拮抗しているからです。そして、動物の中にも陰陽があります。もっとも、肉の中には必要営養素がすべて含まれているので、直接に植物を摂らなくても、間接的に植物を摂っていることにもなります。

例えば、牛乳は動物食の一つですが、これは牛が植物を食べることによってつくられたものなので、間接的に植物を摂っていることになります。

人間を中心として植物性の生食を見ますと、有益性のものと、有毒性のものに大きく分けられます。そして、その中でも益性中の益性のものもありますし、益性中の毒性のものがあるように、末梢的に細かく分類されていき、非常に複雑になっています。はっきり毒性とわかっているものは、薬品として一部用いられている以外は、ほとんど食品として用いられていません。問題になるのは、有益グループの中の毒性のものを知らずに食している場合が多いということです。したがって、まず、食質というものをよく知らないといけません。

この食質については、科学で表せるようにはいまだに解明されていません。では、どのようにしたらいいかということについて述べます。

まず安全な考え方で追っていきますと、昔からよいとされているもの、昔から常食されているものを、食べ物として摂っていくことであります。新製品などは経験のないもので、すぐに有毒な状態が現われるものは別として、十年、二十年と長期に渡らないと毒性が現れないものがあります。例えば、カドミウムのようなものでさえ、十年以上たたないと人間に対する害がはっきり表面に出てこないもので、食べられるものでありながら微量な毒性が含まれている場合は、相当な年月を経なければ分からないこともあります。極端にいえば、「新製品はすべて怖いもの」ということになります。また、昔からあるものでも、農薬などの混入によって、良性のものでも、悪性のものに変わるのではないかという心配もあります。その上、体力の低下や体質の不一致が加わりますと、大変な問題になることがあります。

それから、食事の内容、つまり主食と副食の基本的な考え方、また、それを摂る時間帯、それは一日としての時間帯と、四季(春夏秋冬)における時期の問題も考えなければいけません。

いつでも同じものを食べてよいのか、また、いつも同じものを食べなければならない場合と、変えていかなければならない場合があります。これからの主食、副食、旬ということをふまえた上で、体質に応じた食事の仕方というものも考えなければいけません。